部屋に残る余韻と絶望――遥の崩壊した夜
- とおるが去り、静けさに包まれる部屋
- 遥の身体に残る快感の残滓と羞恥
- スマホに届いた“素材”という名の動画
- 全てを記録された悦びと絶望
- 抗えない快楽の記憶が遥を蝕む
- 背徳と涙、そして新たな始まり
部屋の中は、異様な静けさに包まれていた。
玄関の扉が静かに閉まり、廊下を歩く革靴の音が遠のいていく。とおるが去ったその瞬間、時間だけがぽっかりと置き去りにされていた。
遥は、ソファの前のカーペットに仰向けで横たわったまま、動けなかった。
いや、動くことができなかった。
脱がされたままの裸身に、まだ男の視線が刺さっているような錯覚が残っている。
脚の付け根に残る微かな熱。
触れられていないのに疼く乳首。
そして、数十分前の絶頂の余韻が、皮膚の裏側でくすぶるように脈打っている。
指先の感覚すら、生々しすぎて怖かった。
あの瞬間、自分がどう腰を揺らし、どんな声を吐き、どれほど淫らに蕩けていたか——
すべてが記憶に焼き付いていて、むしろ「消したい」という願いを嘲笑うかのように、鮮明だった。
「……今度の撮影も、楽しみにしているよ」
とおるの声が、耳の奥で残響していた。
やわらかく、日常に溶け込むような口調で。
まるで“業務連絡”のようなテンションで、それを言い残して去っていった。
遥は、自分の脇腹に落ちた髪を払いながら、天井を見上げた。
静かな白。どこまでも無機質な天井が、今は拷問のように冷たく感じた。
そして——
不意に、音が鳴る。
ピリッとした短い振動。
遥の身体がびくんと跳ねる。
ベッドの上に放り出していたスマートフォンが、メッセージ着信を告げていた。
呼吸が浅くなる。
指が震える。
心臓が何かを察知したかのように、異常な速さで打ち始めた。
ディスプレイを見た。
送り主は、とおる。
たった一行の文。
「素材、送っておくよ。編集はあとでね」
添付されていたのは、動画ファイル。
それも、高画質の重いデータだった。
震える親指で、再生ボタンを押す。
あるいは、押させられた。
画面に映ったのは、他でもない——遥自身だった。
ソファの前、脚を広げ、笑っている。
艶めいた視線でカメラを見上げながら、乳房を自分で揉みしだき、指で秘部を穿つ。
濡れた音、はしたない吐息、震える身体。
——その瞬間。
遥の中で、何かが「ブツッ」と音を立てて途切れた。
操りが、解けた。
心の奥に掛かっていた靄が剥がれ落ち、視界がクリアになる。
けれど、それは救いではなかった。
正気を取り戻したその先に待っていたのは、むしろ地獄だった。
覚えている。
全部。
何もかも。
どこをどう触れ、どう喘ぎ、どう絶頂に達したか——
自分の身体が、自分の意思ではなかったはずの時間の、全記憶がある。
なのに。
悦んでいた。
紛れもなく、あの顔は“気持ちよくて仕方がない女”の顔だった。
目が蕩け、口元は崩れ、吐息は甘く濁って、震える脚で床を叩いていた。
「……うそ……うそでしょ……っ」
遥はスマホを手から放り投げた。
画面はソファの脚元でカタリと跳ね、そのまま再生を続けている。
スピーカーから流れるのは、自分の声。
「課長ぉ……見てください……っ、イっちゃう……イって……しまいますぅっ……!」
——なんて声を出していたの。
——どうして、あんなに嬉しそうに、乱れていたの。
遥は、頭を抱えた。
叫びたかった。でも声にならなかった。
心の底から恥ずかしくて、汚されて、でも——
でも——
下腹部が、また疼く。
あり得ない。
あんなに壊されて、こんなにも絶望しているのに、なぜ身体だけが裏切る。
指先が、自分でも気づかぬうちに脚のあいだへと落ちていく。
《やめて……やめてって……っ》
心は悲鳴を上げる。
だが、身体は従わない。
記憶された“悦び”に、快感の残像に、勝てない。
どれだけ心が拒んでも、一度味わった快楽の残滓は、女を蝕み続ける。
それが、遥の肉体だった。
「……いやぁ……っ、こんなの……やだぁ……っ……」
涙が止まらない。
泣きじゃくりながら、遥は床に崩れ落ち、膝を抱えた。
「もう……普通に戻れない……っ」
誰にも触れられたくない。
でも、誰かにすべて見られている。
——すでに、記録されてしまったから。
あのカメラのレンズが、自分の全てを剥いた。
体も、心も、恥も、理性も、なにもかもを。
その“映像”は、とおるの手の中にある。
「また、撮影がある」
その一言が、遥の頭の中で、何度もリフレインする。
逃れられない。
忘れられない。
そしてきっと——抗えない。
床にこぼれた涙が、じわじわとカーペットを染み込ませていく。
嗚咽が、声にならない音へと変わり、部屋の沈黙と溶け合っていく。
背徳という名の毒は、遥の骨の奥にまで、静かに、しかし確実に染み込んでいた。
そして彼女は、まだ知らなかった。
——これが終わりではなく、
——すべての始まりでしかなかったことを。
なこ汁作品総集編
2,035円

コメント