再び止まった時のなかで――寿子への渇望
柏駅の構内、夜は深まり、ホームのアナウンスが静かに響く。
寿子は改札の向こう、少し首をかしげながら、不思議そうな顔で胸元をそっと押さえていた。
(いま、私……誰かに抱きしめられてたような……)
ほんのり赤らんだ頬、指先に残る余韻。
ひろし課長は、その遠い背中を見つめたまま、しばし足を止めていた。
胸の奥で、何かがまだくすぶっている。
あの一瞬だけでは、どうしても足りない。
(もう一度、彼女を――今度は、もっと深く、もっと激しく、俺の想いを伝えたい)
ひろしの掌には、まだ寿子のぬくもりが残っている。
欲望の炎が、全身を焦がす。
夜風がホームに吹き抜け、駅の照明が青白く彼女のシルエットを浮かび上がらせる。
青いセーターと白いズボン、そして背筋の美しさ。
何度見ても、胸が苦しくなるほど愛おしい。
(もう一度、時を止める。今度は――絶対に、後悔しない)
ひろしはポケットに手を差し入れ、静かに呼吸を整えた。
世界を包む音が、ふっと消える。
秒針の進みも、ホームを行き交う人々の足取りも、すべてが完璧に「静止」する。
時が、再び、止まった。
寿子の姿が、夜の駅のなかで鮮やかに浮かび上がる。
小さく揺れる髪、青いセーターの裾、真っ白なズボンの美しいライン。
誰にも邪魔されない、完全なる密室。
(今度こそ、もっと近くで、もっと深く……)
ひろしは静かに、寿子の後ろに歩み寄った。
手を伸ばし、再び彼女の身体を抱きしめる。
前よりも、もっと強く、もっと熱く。
寿子の背中に自分の体温を重ね、頬をそっと彼女の髪に埋めた。
その香りは、石鹸と柔軟剤の清潔な甘さ。
(寿子……君のすべてが欲しい)
彼女の耳たぶに、静かに唇を寄せる。
――その柔らかさ、温かさ。
(この感触は、きっと……時が動いた瞬間、すべて君に伝わるんだ)
ひろしは、寿子の肩越しに腕をまわし、正面から抱きしめる。
彼女の青いセーター越しに感じる心臓の鼓動。
白いズボンの太ももに、自分の身体が密着していく。
(こんなにも近くで、寿子を感じることができるなんて……)
強く、深く。
「……寿子、俺は君が好きなんだ。本当に……どうしようもなく」
囁く声は、届かない。
だけど、唇のぬくもりだけが、時を超えて彼女の心に焼きつく。
ゆっくりと、ひろしは寿子の頬に顔を寄せる。
彼女の柔らかな頬に、自分の唇をそっと重ねた。
最初は、ほんの軽いキス。
だが、渇望が理性を溶かしていく。
もう一度、唇を押し当てる。
今度は、角度を変えて、寿子の小さな口元へ。
彼女の唇は、弾力があって、ほのかに甘い。
(誰にも、触れられたことがない唇かもしれない。こんなにも美しい唇に、俺の想いをすべて込めたい)
再びキスを重ねる。
ひろしの舌先が、寿子の唇の端をそっとなぞる。
その瞬間、理性の鎖がぷつりと切れた。
(もっと、もっと……寿子の奥まで、感じてほしい)
寿子の両頬に両手を添え、今度は深く、ディープに唇を重ねた。
舌がゆっくりと寿子の唇をこじ開け、その奥へと忍び込む。
甘く、濃密に、唾液が絡み合う。
まるで二人の体温がひとつになるように。
(寿子の唇の奥、舌の感触、何もかもが初めてで、狂おしいほど愛しい)
彼女の舌に自分の舌を絡め、唾液を交換する。
「ん……」
声にならない熱が、寿子の口元に溢れる。
ひろしは寿子の背中を強く抱きしめたまま、何度もディープキスを重ねる。
彼女の呼吸、心臓の高鳴り、すべてが止まった世界の中で、二人だけの秘密になる。
舌が奥まで侵入し、寿子の口腔の内側を愛撫する。
(この快感は、時が動いた瞬間、すべて彼女の中に流れ込む。俺の渇望も、想いも、全部――)
腕のなかの寿子は、何も知らないまま。
だけど、彼女の肌、唇、舌先には、確かにひろしの痕跡が残っていく。
彼女の耳たぶにそっと息を吹きかけ、
首筋に甘く熱いキスを落とす。
甘噛みし、優しく吸う。
跡が残るように、ゆっくりと舌を這わせる。
(寿子……ごめん、でもどうしても君が、欲しいんだ)
最後にもう一度、寿子の唇に長く、深いキスをする。
時間の止まった世界で、二人だけの官能的なダンス。
彼女の青いセーターを指先で撫でながら、背中をそっとなぞる。
やがて、ひろしは寿子をそっと解放する。
未練がましく、彼女の頬をもう一度撫で、愛しげに髪を梳く。
今夜だけの秘密。
誰にも知られない、二人だけの背徳の瞬間。
深く吐息を漏らしながら、
ひろしは心のなかで願う。
(この感触が、君の奥まで届きますように……)
静かに、「時よ、動け」と呟いた。
世界が、ふたたび動き出す。
寿子の身体がふっと震え、
目を大きく見開く。
彼女の唇はかすかに震え、
呼吸が乱れる。
(なにこれ……すごく、熱い……唇が、ずっと……)
寿子は思わず壁に手をつき、足元をふらつかせた。
「……なんで、私……息が……」
唇が濡れて、頬が火照り、
胸の奥から甘い疼きが溢れ出す。
(だれ……? わたし……誰かに、キス、されて……)
寿子は自分の指先をそっと唇にあててみる。
(まだ、キスの感触が消えない……)
ひろしは少し離れた場所から、
寿子を見守っていた。
その瞳は罪悪感と悦び、そして、まだ燃えさかる欲望で揺れていた。
(もう二度と、踏み越えない――そう誓っても、またきっと……)
寿子の視線が、どこかでひろしを探している。
だけど、何も気付くことはできない。
あの夜、駅の静寂のなかで。
誰にも知られず交わされた、濃密なキスと抱擁。
寿子の胸に、ひろしの想いが焼きつく。
そしてその余韻は、これからも消えることはない――
――背徳と官能、ふたりだけの秘密が、
柏駅の冬の闇に溶けていく。


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