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【金曜の夜、背徳の密室】呪縛のペンダントと拒絶する遥の肢体
ひろしの手の中には、鈍く光る黒銀のペンダントが握られていた。
それは、念じるだけで女の肉体を完全に操ることができるという、オカルトめいた呪物の類だった。
しかし、心は一切操作できない。恐怖や絶望、生理的な嫌悪、拒絶の意志はそのままに、ただ肉体だけが術者の命令に絶対服従させられる。
ひろしがその残酷な力の最初の標的に選んだのは、直属の部下である遥だった。
彼女はオフィスで最も優秀で、そして最も男を寄せ付けない氷のように冷徹な女だ。
隙のないタイトスカート。首元までかっちりと留められたブラウス。
男の性的な視線を汚物のように嫌悪し、男に一切の隙を見せない、誰にも触れられたことのない完全な処女。
その絶対的な拒絶の壁を、彼女自身の身体を操って内側から無惨に叩き壊してやる。
ひろしの腹の底で、どす黒い被虐的でサディスティックな欲望がドクドクと脈打っていた。
金曜日の夜。会社の飲み会からの帰り道。
人通りの途絶えた裏通りを、ひろしは偶然を装って遥と並んで歩いていた。
街灯の光が、彼女の形の良い横顔を白く浮き上がらせている。
「……課長。駅はあっちです。私はあちらの明るい大通りから帰りますので」
遥は立ち止まり、ひろしに対する明白な警戒心と嫌悪感を一切隠そうともせず、冷徹な声で告げた。
踵を返し、足早にひろしから遠ざかろうとする彼女の背中を見つめながら、ひろしはポケットの中のペンダントをきつく握りしめた。
そして、どす黒い欲望を込めて明確に念じる。
――戻ってこい。そして、俺の隣を歩け。
その瞬間だった。
カツカツと遠ざかっていた遥のヒールの音が、ピタリと不自然に止まった。
「……え……?」
彼女の喉から、困惑の小さな声が漏れる。
彼女の意志とは全く無関係に、右足が勝手に反転したのだ。
続いて左足が滑らかに動き、彼女の身体は完全にひろしの方へと向き直った。
そして、トコ、トコと、まるでよく躾けられた人形のように、自らの意志を完全に無視してひろしの元へと歩み寄り始めた。
「……なっ、なに……これ……っ?」
遥の端正な顔が、理解不能な現象に対する強烈な恐怖で一瞬にして蒼白に染まる。
脳は『逃げろ』『足を進めるな』と悲鳴のような指令を全身の筋肉に出している。
それなのに、運動神経がその命令を完全に無視しているのだ。
彼女の意志を無視して、細い足はひろしの真横にぴたりと並び、そこで静止した。
「どうした、遥。一緒に来てくれる気になったのか?」
ひろしが意地悪く微笑みかけ、再び歩き出す。
すると、遥の足もひろしの歩調に完全に合わせ、寸分の狂いもなく隣を歩き始めた。
(……なんで……どうして足が動くの……止まって、止まってよ……)
彼女は必死に地面に足を踏ん張ろうとした。
膝の力を抜き、その場に崩れ落ちようともした。
だが、筋肉は彼女の絶望的な抵抗をせせら笑うかのように、規則正しいリズムでアスファルトを蹴り続ける。
まるで見えない強靭な糸で手足を吊られ、強制的に操り人形にされているかのような、ぞっとするほどの違和感。
自分の身体が自分の思い通りにならないという根本的な恐怖が、冷や汗となって彼女の背中をじっとりと濡らしていく。
心臓が早鐘のように打ち鳴らされ、呼吸が浅く荒くなる。
「か、課長……っ、私、身体が……っ、勝手に……!」
震える声で助けを求めようとした彼女の視線の先。
ひろしが指し示したのは、卑猥なピンク色のネオンが点滅する、裏路地にひっそりと佇む薄汚れたラブホテルの入り口だった。
「……嫌っ……やめて……! そっちに行きたくないっ……!」
遥は悲鳴のような声を上げた。
自分がどこに連れて行かれようとしているのか、その場所の恐ろしい意味を理解した彼女の心は、極限のパニック状態に陥った。
頭を激しく振り、言葉では必死に拒絶の意志を示している。
しかし、彼女の口から出る絶望の叫びとは裏腹に、彼女の二本の足は、吸い寄せられるようにネオンの海へと向かって、スタスタと滑らかな足取りで進んでいく。
ヒールがコンクリートを叩く無機質な音が、彼女の尊厳をゴリゴリと削り取るように夜の静寂に響き渡った。
ホテルの重々しい自動ドアが、ウィーンと不気味な音を立てて開く。
過剰に冷房が効き、むせ返るような安っぽい芳香剤の匂いが充満するロビー。
そこに足を踏み入れた瞬間、遥は強烈な寒気に襲われ、肩を大きくビクンと震わせた。
逃げなければ。今すぐ引き返して、外に駆け出さなければ。
彼女の脳内では警報が鳴り響き、全神経が『逃走』を命令している。
だが、受付のパネルで部屋を選ぶひろしの真横で、彼女の肉体はただ直立不動のまま、一歩も動こうとしなかった。
顔面を恐怖で引きつらせ、両脇で小さな拳を白くなるほど強く握りしめながら、彼女はただ、自分が陥った異常な状況に戦慄することしかできない。
身体がまったく熱を帯びることはない。
ただひたすらに、己の肉体のコントロールを奪われたという冷たい絶望だけが、彼女の精神を少しずつ削っていく。
エレベーターの狭い密室。
扉が閉まるその直前、遥は『開く』のボタンを押そうと必死に腕を伸ばそうとした。
(……動いて……お願いだから、腕、上がって……)
しかし、彼女の腕は身体の側面にぴたりと張り付いたまま、ピクリとも動かない。
無情にも扉が閉まり、箱が上昇を始める。
真横に立つ男の獣のような気配に、彼女は胃液が込み上げてくるほどの強烈な吐き気と嫌悪感を覚えた。
鏡に映る自分の姿は、恐怖で顔を真っ赤に染め、その切れ長の瞳には今にもこぼれ落ちそうな大粒の涙が溜まっていた。
かつての冷徹なキャリアウーマンの面影はどこにもない。
そこにあるのは、自らの意志を封じられ、処刑台へと運ばれる無力な囚人の姿だった。
チン、という電子音が鳴り、最上階で扉が開く。
ふかふかの絨毯が敷かれた、無音の薄暗い廊下。
ひろしが一歩踏み出すと、遥の足も自動的に一歩踏み出す。
右、左、右、左。
彼女の心は『歩きたくない』と絶叫し、かかとを床に擦り付けようと必死で抵抗している。
しかし、彼女の意志とは裏腹に、その白く細い脚は滑らかな軌道を描き、ひろしに付き従うように完璧な歩調で進んでいく。
ひろしから離れようと、全身の筋肉を硬直させてその場に立ち止まろうとするが、無慈悲にも身体は前へ前へと強制的に運ばれていく。
壁の向こうからは、見知らぬ男女の生々しい声や、ベッドが軋む音が微かに漏れ聞こえ、彼女の羞恥心と恐怖をさらに煽り立てる。
これから自分が何をされるのか、この汚らわしい場所でどのような屈辱を味わわされるのか。
その想像だけで、彼女の胃袋は激しく痙攣し、吐き気が喉の奥まで込み上げてきた。
ドアノブにカードキーが差し込まれ、電子錠が解除される『カチャリ』という乾いた音。
それが、彼女が守り続けてきた平穏な日常と純潔の、完全なる終わりを告げる決定的な合図だった。
ひろしがドアを開け、中へと入る。
遥はドアの前で立ち止まった。
ここに入れば、もう二度と元の自分には戻れない。すべてが終わる。
(……だめ…… 入っちゃだめ……お願い、足、止まって……動かないで……)
遥の心は、狂ったように全身の神経に命令を送り続けた。
しかし、彼女のその悲痛な抵抗を嘲笑うかのように。
スッ、と。
彼女の右足が、まるでそれが当然の義務であるかのように、部屋の敷居を滑らかに跨いだ。
続いて左足が引き寄せられ、彼女の身体は完全に部屋の中へと足を踏み入れた。
「あっ……ぁ……っ」
自らの肉体が犯した絶望的な裏切りに、遥の口から掠れた悲鳴が漏れる。
背後で、重厚なドアがバタン、と重い音を立てて閉まった。
外界から完全に隔絶された、助けを呼ぶことも逃げることもできない絶対的な密室。
広々とした円形のベッドを前にして、遥の足はついにピタリと止まった。
逃げることも、泣き喚いて助けを呼ぶことも許されない。
ただ、嫌悪する男の蹂躙を受け入れるためだけに用意された、完璧に従順な肉の器。
圧倒的な絶望のなかで、遥の長く美しいまつ毛から、ついに大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
自らの意志で、自らの足で歩み入ってしまったこの密室で。
彼女のすべてが、これから彼の手によって内側から無惨に壊されていくことなど、火を見るよりも明らかだった。

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