▶ 名前変換:入力フォームを開く
【契約】契約書の罠、遥の撮影:vol.7(撮影後に妊娠の可能性に気づき動揺する遥)
無機質な地下スタジオでの『撮影』が終わった後、スタッフたちはそそくさと機材を片付け、嵐が過ぎ去るように去っていった。
残されたのは、ひんやりと冷え切った空調の風と、ベッドの上に一人取り残された遥だけだった。
拘束具を外された手首と足首には、赤紫色に変色した痛々しい鬱血の痕がくっきりと残っている。
だが、それ以上に彼女を苛み続けているのは、下腹部の最も深く、柔らかな場所――下腹部のどん詰まりに居座り続ける、不快で生温かいドロドロとした異物の存在だった。
(……っ……きもちわるい……っ)
少し身じろぎするだけで、自分のものではない生臭い白濁が、破られたばかりの処女の血と混ざり合いながら太腿を伝ってシーツへと滴り落ちていく。
その悍ましい感触が、自分がたった今『中に出された』という絶望的な事実を、これ以上ないほど残酷に突きつけてきた。
今日は、カレンダーに赤い印をつけていた危険日――女性として最も妊娠しやすい排卵期のど真ん中だった。
「どうしよう……っ……もし、ほんとに……っ」
震える手で自分の下腹部をそっと押さえる。
そこにはまだ、暴力的なまでに巨大な異物にこじ開けられた激痛と、無理やりねじ込まれた内臓を圧迫するような鈍痛がはっきりと残っていた。
快感などというものは、最初から最後まで一欠片も存在しなかった。
あったのはただ、人間としての尊厳を粉々に打ち砕かれる極限の恐怖と、決して同意していない行為をカメラのレンズの前で強制されるという絶対的な屈辱だけだ。
それなのに、男は『お前も感じていただろ』と嘲笑い、危険日であることを知りながら、わざと避妊具もつけずに己の欲望のすべてを遥の体内に吐き出していった。
契約書という一枚の紙切れを盾にして、清楚で真面目だった女子大生の人生を、根底から破壊し尽くしたのだ。
(あんな男の……子供なんて……っ、ぜったいにいや……っ!)
急激な吐き気に襲われ、遥はベッドの端から身を乗り出して、胃液だけをゲェゲェと床に吐き戻した。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を両手で覆い、冷たいスタジオの空気に一人震え続ける。
シャワーを浴びて必死に中を洗い流そうとしても、一度体内に注ぎ込まれてしまった恐怖の種を取り除くことはできない。
その日から、遥の人生は『妊娠への恐怖』という名の見えない鎖に、一日二十四時間、常に縛り付けられることになった。
それから三週間後。
どんよりと曇った灰色の空から、冷たい雨が窓ガラスを叩き続けている午後。
薄暗いワンルームの自室で、遥は膝を抱えてベッドの上にうずくまっていた。
部屋の暖房は入っているはずなのに、身体の芯から這い上がってくるような寒気が止まらない。
「……こない……」
掠れた声が、静まり返った部屋に虚しく響く。
予定日から、すでに十日以上が経過していた。
これまで一度も遅れたことのなかった生理が、あの撮影の日を境にして、ピタリと止まってしまっている。
極度のストレスによる生理不順であってほしい。
毎日毎日、神様がいるならどうか助けてくださいと祈り続けた。
だが、身体に現れ始めている小さな異変たちが、遥のその儚い希望を容赦なく打ち砕いていく。
微熱のような気るさ。
下腹部の奥の方でチクチクとうずくような違和感。
そして、食べ物の匂いを嗅いだだけで胃がせり上がってくるような、これまで経験したことのない吐き気。
(うそだ……っ、うそだよね……っ)
現実から目を背けたくて、何度も何度もカレンダーを数え直した。
しかし、時間は残酷なまでに正確に過ぎ去り、彼女の胎内で起きているかもしれない取り返しのつかない変化を、ただ黙って見下ろしている。
これ以上、一人で怯え続けることに限界を感じた遥は、ついに震える足を引きずって近所のドラッグストアへと向かった。
帽子を深く被り、マスクで顔を隠しながら、逃げるようにして買い求めた小さな箱。
『妊娠検査薬』というその文字を見るだけで、心臓が破裂しそうなほどのパニックに襲われた。
アパートに戻り、狭いユニットバスの薄暗い電球の下で、震える手でパッケージを開ける。
説明書に書かれた通りに尿をかけ、判定窓を水平な場所に置く。
『判定まで一分』
「おねがい……っ、おねがい……っ!! なにもでないでっ……!!」
両手を強く握り締め、爪が手のひらに食い込んで血が滲むほど祈った。
もしこれが陽性だったら。
大学は中退しなければならないだろう。厳格な両親には、絶対に顔向けできなくなる。
何より、あの冷酷で暴力的だった男の遺伝子を、自分の身体の中で育てなければならないという圧倒的な恐怖。
一分という時間が、まるで永遠のように感じられた。
やがて、恐る恐る薄目を開けて、洗面台の端に置かれた白いプラスチックのスティックを見下ろす。
判定窓には――くっきりと、鮮やかな赤紫色の線が『二本』浮かび上がっていた。
(…………あ……っ)
その瞬間、遥の頭の中で、張り詰めていた最後の糸がプツリと音を立てて切れた。
陽性。
妊娠している。
あの日の絶望が、単なる記憶ではなく、生命という取り返しのつかない形となって自分の中に巣食ってしまったのだ。
「あ……あああ……っ……いやぁぁぁっ!!」
遥は洗面所の床に崩れ落ち、獣のような悲鳴を上げて泣き叫んだ。
「どうして……っ! なんでわたしが……っ! こんなの、いやっ……いやあああぁぁぁっ!!」
自分の腹を何度も何度も強く殴りつけるが、物理的な痛みなど、心が引き裂かれる絶望に比べれば何の意味も持たなかった。
清楚で真面目に生きてきただけの自分が、なぜこんな地獄に落とされなければならないのか。
たった一度のアルバイトのつもりでサインした契約書が、彼女の人生のすべてを食い尽くし、ついには『望まぬ妊娠』という最悪の烙印を押してしまった。
冷たいタイルに顔を押し当てながら、遥のすすり泣く声だけが、いつまでも暗い部屋の中に響き続けていた。
これから自分がどうなってしまうのか。
誰にも相談できず、逃げ道もすべて塞がれた絶望の中で、少女はただ暗闇に飲み込まれていくことしかできなかった。
もし明日、ひろしから「次の撮影の打ち合わせだ」と連絡が来たら、自分はどうすればいいのだろうか。
『妊娠しました』と報告すれば、彼はどんな顔をするのだろう。
「よくやった」と笑うのだろうか。「それなら、次は妊婦としての撮影だな」と、さらなる地獄の扉を開くのだろうか。
どちらにせよ、人間としての真っ当な扱いなど期待できるはずもなかった。
産むにしても、堕ろすにしても、今の遥には金もなければ、誰かに助けを求める勇気もない。
ただ一つだけ確かなのは、もう二度と、元の普通の生活には戻れないということだけだ。
自分のお腹の中に、あの冷酷で恐ろしい男の血を引く命が、確かに根を下ろしてしまった。
その事実が、足元から黒い泥となってせり上がり、遥の全身を息もできないほどきつく縛り上げていく。
「あぁ……っ……あああ……っ……」
泣き疲れて声も出なくなり、それでも流れ続ける涙が冷たいタイルを濡らしていく。
外では冷たい雨が降り続け、遥の終わらない絶望を嘲笑うかのように、静かに窓ガラスを叩き続けていた。
もう二度と、彼女の心に希望の光が差し込むことはない。
たった一枚の契約書がもたらした最悪の結末は、彼女の人生のすべてをここで完全に終わらせてしまったのだった。

コメント