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【処女喪失・羞恥】トイレの声を用務員に聞かれた、うぶな女子大生・遥:vol.2(眠れない夜)
「……失礼しますっ」
それだけ言うのが精一杯だった。遥は岩城の横をすり抜け、階段を駆け下りた。三階、二階、一階。図書館棟を飛び出し、中庭のベンチまで走ってから、ようやく足を止めた。息が切れていた。走ったせいだけではなかった。
午後の授業は、何も頭に入らなかった。教授の声が遠くで鳴っているだけで、ノートには一行も書けなかった。気がつくと、さっきの廊下の光景ばかり思い出していた。窓の外へ目を逸らした、あの横顔。全部聞かれていた、という事実。
夜、一人暮らしの部屋で布団に入っても、眠れなかった。目を閉じると、モップの音が止まった瞬間がよみがえる。大丈夫か、という低い声。あの人は、扉一枚向こうで、自分の声を聞いていた。どこから聞いていたのだろう。最初からだろうか。
考えるほど、顔が熱くなった。恥ずかしくて死にそうだった。なのに、脚の間がじんわりと疼き始めていた。遥は布団の中で膝を抱えた。こんなときに、と思う。あんなことがあった日に。それでも、疼きは引いていかなかった。
トイレで途中までだったのだ、と遥は自分に言い訳をした。だから身体が落ち着かないだけだ。そっと指を伸ばすと、下着はもう湿っていた。目を閉じて撫で始めると、頭の中に浮かんだのは、小説の恋人たちではなかった。
浮かんだのは、扉の外に立つ、紺の作業着の背中だった。あの人に聞かれている。そう想像した瞬間、指の下が一気に熱くなった。遥は慌てて手を止めた。何を考えているのだろう。五十を過ぎた、名前しか知らない人なのに。
けれど、一度浮かんだ想像は消えなかった。遥はもう一度、指を動かした。今度は止めなかった。聞かれている。聞かれていた。その二つが頭の中で混ざり合い、遥は枕に顔を押しつけて、声を殺したまま達した。昼間より、ずっと深かった。
息が落ち着いてから、遥は天井を見つめた。自分がどうかしてしまったのだと思った。明日、あの人に会ったら、どんな顔をすればいいのだろう。いや、会わなければいい。四階に行かなければいい。それで全部、忘れられる。
そう思うのに、胸の奥がざわざわして落ち着かなかった。あの人は、誰かに話すだろうか。用務員の仲間に、笑い話として。四階のトイレで、女子学生が。想像すると、背筋が冷えた。そして同時に、なぜか脚の間がまた疼いた。
枕元のスマホを手に取り、大学の構内図を開いた。図書館棟の一階、その裏手に、小さく用務員室と書かれていた。こんなところにあったのか、と思う。二年半も通っていて、一度も気にしたことがなかった。指先で、その小さな四角をなぞった。そこに、あの人がいる。
明け方近くになって、遥はようやく決めた。明日、用務員室へ行く。行って、ちゃんと話す。何を話すのかは、まだ分からなかった。ただ、このまま何もなかったふりをするのは、もう無理だと思った。
▶ 別の道へ飛ぶなら
→ 「……ほんとのこと、話してもいいですか」
(このまま読み進めてもOK)
「黙っていてもらう代わりに、何でもします」
一階の裏の用務員室で、遥は深く頭を下げていた。四畳半ほどの畳の間に、古い机と湯沸かしポットがあるだけの部屋だった。岩城は机の前の椅子に座ったまま、しばらく黙っていた。それから、顔を上げろ、と静かに言った。
顔を上げると、岩城は明らかに困った顔をしていた。怒っているようにも見えた。何でもする、なんて簡単に言うもんじゃない、と岩城は言った。それに、俺は最初から誰にも言うつもりはない。取引なんか、しなくていい。
遥は言葉に詰まった。黙っていてもらうために来たのだと、自分では思っていた。けれど、そう言われてしまうと、ここにいる理由がなくなる。帰ればいい。お礼を言って、帰ればいい。分かっているのに、足が動かなかった。
岩城は湯呑みに茶を注ぎ、遥の前に置いた。座れ、と言われ、遥は畳の端に正座した。湯呑みを両手で包むと、指先が震えているのが分かった。岩城はそれを見ていたが、何も言わなかった。窓の外で、どこかの部活の掛け声が聞こえた。
「……ほんとは、口止めに来たんじゃないんです」
気がつくと、そう言っていた。岩城の眉が、わずかに動いた。遥は湯呑みを見つめたまま、続けた。昨日の夜、眠れなかったこと。聞かれていたと思い出すたびに、身体が熱くなったこと。それで、また自分で触ってしまったこと。
全部言い終えたとき、遥の耳は燃えるように熱かった。岩城は長いこと黙っていた。やがて、深いため息をついた。お前は自分が何を言ってるか分かってるのか、と岩城は言った。俺はお前の父親より年上だ。
分かっています、と遥は答えた。分かっているから、誰にも言えなかった。キスもしたことがないこと。二十一にもなって、何も知らないこと。小説でしか知らないこと。言葉にするたびに、恥ずかしさで身体が縮んでいくようだった。
岩城は椅子から立ち上がり、遥の前の畳に腰を下ろした。目線が同じ高さになる。弱みにつけこむような真似はしない、と岩城は言った。それだけは約束する。お前が嫌だと言ったら、そこでやめる。いいな。
岩城の目は、まっすぐ遥を見ていた。逸らさなかった。昨日の廊下では窓の外へ逃げていた目が、今は逃げていない。それが、遥には何より嬉しかった。この人は、ちゃんと自分の話を聞いてくれた。笑わずに、最後まで。
遥は頷いた。岩城の大きな手が、遥の頬に触れた。ざらりとした、硬い手のひらだった。遥は目を閉じた。唇に、乾いた温かいものが重なった。生まれて初めてのキスは、ほんの一瞬だった。目を開けると、岩城が遥の顔をじっと見ていた。
嫌じゃないか、と聞かれる。遥は首を横に振った。声が出なかった。心臓が、喉のすぐ下で暴れていた。脚の間が、また湿り始めているのが分かった。この先に何があるのか、遥は知りたかった。文字ではなく、この身体で。
ここまで読んでくれてありがとう
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