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【透明人間】見えない上司に襲われる夜:vol.1(残業中の怪異)
▶ 選んで結末が変わる物語(全20話・6結末)
モニターの右下で、時刻が二十一時四十八分になった。
フロアの照明は、二十一時を過ぎるとタイマーで奥の島から順に落ちる。今は入口側の二列だけが点いていて、その白い光の輪の外側は、もう夜の色をしていた。窓ガラスには、向かいのビルの非常灯が点々と映っている。自動販売機の低い唸りが、通路の向こうで途切れ途切れに続いていた。
入社して半年の、新入社員だった。今日中に終えなくていい入力作業まで「やります」と引き受けてしまったのは、断り方をまだ知らないからだ。夕方、直属の上司が「悪いね、あとは頼むよ」と上機嫌で帰っていった背中を思い出す。早く終わらせて帰りたい、ただそれだけだった。
キーを叩く指を止めて、首を回した。ぱき、と小さく骨が鳴る。隣の席に、先輩が飲み残した紙コップが置いてある。底に薄く残ったコーヒーは、もうすっかり冷えていた。
カタ、と音がした。
遥の手は止まったまま、耳だけが動く。
左うしろ。ペンが机の上を転がって、止まった音。
誰もいないオフィス。空調の音に混じって、静寂が不自然に鼓膜を圧迫する。
ふっ、と首筋に息がかかった。
空調の風ではない。
ねっとりとした、生温かい息。
そして、かすかに鼻を突く匂い。古い整髪料と、ひどく生臭い体臭が混ざったような、得体の知れない悪臭。気のせいだと打ち消そうとしても、背中の皮膚が、うなじから腰へ、ざあっと波打つように冷えていく。
勢いよく振り向く。
誰もいない。
光の輪の外に、デスクの島が暗い影となって並んでいて、コピー機の待機ランプだけが赤く瞬いている。
足音もない。人影もない。なのに、何かの体温がすぐそこにあるような、圧倒的な重圧感だけが、空気をねっとりと押しつぶしている。
吸っても、吸っても、胸の途中で空気が止まる。
震える首を戻し、画面に向き直る。隣の席の、暗くなったモニターが視界の端に映っていた。
黒い画面に、自分の背中と、椅子と、うしろの通路がぼんやり反射している。
その中の自分の肩が、おかしかった。
ブラウスの右肩が、ゆっくり沈んでいく。
誰かの手に上から押されるみたいに、布がそこだけ深く凹んでいる。
画面の中の背後には、なにもいない。
なにも映っていない。
なのに布だけが、五本の太い指の形に沈んで、肌を探るようにゆっくりと動いた。
同時に、現実の右肩に、ずしりとした重みがのった。
太くて、ひどく無骨な指の感触。
華奢な肩の骨の上に乗って、じっとりと撫で回し、ゆっくりと離れる。
画面の中の沈みかたと、現実の感触が、ぴたりと重なっていた。
喉が、ひゅ、とつぶれた。
声が、でない。
口を開いても、空気が通らない。舌の根がかたまって動かない。
耳の奥で、心臓の音だけが、どくん、どくんと警鐘のように大きくなる。
指先が急速に冷える。足の裏の感覚が遠のく。座っているはずの身体が、他人のもののように重く感じられる。
このフロアで十年前に誰かが亡くなったと、先輩のだれかが笑いながら話していた。
幽霊。
その言葉が、遥の頭を絶対的な恐怖で染め上げる。背後から漂うのは、生者のものではない、死臭にも似た気配だった。
スマートフォンへ手を伸ばす。指が震えて、デスクの天板を何度か空振りして擦って、ようやく端の金属フレームに触れる。
引き寄せようとした、その瞬間。
するり、と指から逃げた。
机の上を滑って、反対の端でぴたりと止まる。画面の明かりが、ぷつんと消えた。
誰かの手が、そこで待っていて、意図的に奪い取ったみたいに。
遥は弾かれたように椅子を引いて立ち上がった。キャスターが後ろの机にガタンとぶつかる。
膝が笑って、体重を受けとめきれない。それでも、出口のほうへ、一歩、後ずさる。
逃げなければ。
その本能だけで足を動かした。
だが、背中に、なにかがぶつかった。
ずっしりとした、分厚い胸の厚み。硬い肉の壁が、遥の退路を完全に塞いでいた。
遥の身体は、そこで完全に凍りついた。
目だけが動く。前には、なにもない通路。背中には、はっきりと何者かの胸板の感触がある。
耳の真うしろで、じゅるり、と湿った不気味な呼吸の音。
ゆっくり吸って、吐く。その粗い息が、うなじの髪を不快に揺らす。
両手首を、乱暴に掴まれた。
万力みたいな太い指が、左右から骨ごと締め上げる。悲鳴を上げる間もなく、身体がふわりと宙に浮いて、うしろへ引かれ、そのまま背中が冷たい壁に激しく叩きつけられた。
肺の空気が、いちどに抜ける。天井の蛍光灯のカバーが、視界の上でぐらりと揺れた。
壁の冷たさが、ブラウス越しに背骨へ染み込んでくる。
手首は、頭の高さで壁に力強く押さえつけられた。
ねじろうとする。引こうとする。足をバタつかせる。
しかし、どこにも力が入らない。見えない怪異の圧倒的な腕力に、小柄な遥の抵抗など小鳥の羽ばたき程度の意味しかなかった。
指先がわずかに動く。まぶたが震える。それだけ。
巨大な重さがのしかかっているのに、目の前には、なにもない。
昨日までと同じ、灯りの落ちた静かな職場。
声を出して助けを呼びたいのに、極度の恐怖が声帯を麻痺させ、掠れた空気の漏れる音しか出ない。
監視カメラに映るのは、壁ぎわで一人、見えないなにかに手首を押さえつけられ、怯え震えている哀れな女だけだ。
「ヴヴ……ッ……」
耳元で、人間のものとは思えない、地鳴りのような唸り声が聞こえた。
悪霊の呪詛。遥はそう確信し、絶望に涙をあふれさせた。
現実に目の前には空っぽの空間しかないのに、生臭い体臭と、巨大な腕の力が、遥を壁に縫い留めている。
胸に、巨大な手が来た。
ブラウスの上から、柔らかな乳房を無遠慮に鷲掴みにされる。太い指が容赦なく食い込んで、布ごと形が変わるほど押しつぶされる。
喉が引きつった。
まるで粘土でもこねるように、指の腹が形をなぞって、力を入れ直して、乱暴に揉みしだく。
右へ、左へ。形を変えながら、見えない手が遥の胸を蹂躙する。
涙が、あふれた。まばたきもしていないのに、ぼろぼろ、頬を伝ってこぼれていく。
見えない悪霊に、自分の身体を、勝手に弄ばれている。
だれもいないのに、見られている。だれもいないのに、乱暴に触れられている。
極度の恐怖のなかにいるのに、物理的な強い刺激によって頬が熱く、耳まで真っ赤に染まるのがわかる。
ボタンが、外された。
一番上。次。
急がない指。遥が恐怖で震えて揺れるたびに、その揺れを楽しみ、じっくりと味わうように、次のボタンへと指が移動していく。
襟がひらいて、冷房の乾いた空気が、首の下の無防備な肌に直接触れた。
首だけが、わずかに動く。左右に、ほんの少し。
逃げようとしても、両手首は壁に固定されたままで、それしか、できなかった。
前が、大きくひらく。
淡いピンクのレースをあしらったブラジャーが、薄暗がりに白く浮き上がった。
だれもいない空間で、自分の服だけが、ひとりでに脱がされていく異常な光景。
見えない指が、ブラジャーのカップの縁をなぞった。生温かく湿った指先と、冷や汗をかいた肌の温度のちがいに、背骨がびくんと跳ねる。
谷間へ、レースの布の下へ。
指が入り込み、柔らかな膨らみを直接かき集めるように持ち上げる。
そして、中心の未発達な先端を、二本の太い指が乱暴に挟み込んだ。
歯のあいだから、痛みに耐える息がこぼれた。
蕾が、無作法な強い摩擦と、極限の恐怖によって、勝手にかたくなっていく。
怖いから。冷房で冷えているから。ただそれだけなのに。
硬く反り上がっていく突起を、見えない悪霊の指が、面白がるように執拗に弾き、爪を立てて捻り上げる。
もう片方の手が、スカートの裾を掴んだ。
タイトスカートが、太ももの上を、ゆっくり滑りあがっていく。
膝を閉じようとする。力が入らない。ストッキングの上を、見えない手の甲がざらざらと這いあがってきて、固く閉じた膝のあいだに、強引に割りこんでくる。
腰の高さまで。そこで止まった。
清楚な白い下着が、蛍光灯の薄い光の下に、無残にさらされた。
ただ静かに震え続ける遥の秘部を覆う布の中央に、見えない怪異の指が、べっとりと這うように触れた。
全身が、いちど、激しく跳ねる。つま先だけが、ふるえる。
布いちまいの向こうで、太い指の腹が、割れ目の形をなぞるように上下する。
押しあてられて、沈んで、戻る。
暴れても、震えても、少しも乱れない正確で執拗な動き。
息が浅くなる。喉の奥が、ひゅう、ひゅう、と細く鳴る。
手首は壁に縫いとめられたまま。足の指先だけが、床をかすめて、空を掻いた。
恐怖で指先は氷みたいに冷たいのに。
足の付け根だけが、自分のものじゃないみたいに、ひどく熱い。
その熱が、下着をじわじわと湿らせていくのがわかる。
恐怖と羞恥で頭がおかしくなりそうなのに、処女の未熟な身体は、強烈な物理的刺激に対して、無意識のうちに反応してしまう。
見えない指先が、その情けない湿りを確かめるように、布の上からぐいっと深く食い込んだ。
壁の向こうの非常灯が、緑色に光っていた。
誰も助けに来ない、完全な密室。
絶望的な夜は、まだ、始まったばかりだった。
「……だれか……」
ようやく押し出した声は、空調の低い作動音に吞まれた。遥の耳へ返ってきたのは、助けを呼ぶ自分の声ではなく、壁際で衣服が擦れる音だけだった。見えない拘束は少しも緩まず、逃げ道だけが一つずつ塞がれていった。
ここまで読んでくれてありがとう
選択を変えれば、結末は変わります。
別のルートを試すか、他の物語へ。




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