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【処女喪失・撮影】嫌と言えない遥が、カタログ撮影の代役で初めてを撮られる:vol.3(替えの黒と告白)
湊は棚の引き出しを開け、黒い布の包みを取り出した。予備のサンプルです、と言い、遥に手渡した。同じデザインの、黒いレース。黒なら、目立ちません。それだけ言って、スタジオの隅の衝立を指さした。あの陰で着替えてください。
包みを受け取ると、黒い布は手のひらの上で驚くほど軽かった。白と同じ花の刺繍が、黒の中では影のように沈んでいる。遥は包みを胸に抱え、衝立のほうへ歩いた。濡れたショーツが一歩ごとに肌へ貼りつき、そのたびに歩幅が小さくなった。
遥は衝立の陰に入り、白いショーツを脱いだ。脱いだ布の内側が、思っていた以上に濡れていた。慌ててそれを丸め、黒いショーツに脚を通す。衝立の向こうで、湊が照明を動かす音がしていた。こちらを覗く気配は、少しもなかった。
黒いレースは、白よりも少しだけ肌に冷たかった。腰まで引き上げると、薄い生地が濡れた肌に吸いつき、熱がこもる。遥は衝立の板に額をつけ、深く息を吐いた。替えたばかりなのに、もう同じことになりそうな予感がしていた。
丸めた白いショーツを、どこに置けばいいのか分からなかった。籠に入れれば、誰かの目に触れるかもしれない。遥はそれを自分のバッグの底に押し込み、上からハンカチを被せた。サンプルを一枚、駄目にしてしまった。そのことさえ、今は誰にも謝れそうになかった。
その気配のなさに、遥は少しだけ安心した。安心したら、なぜか口が勝手に動いていた。衝立越しに、遥は小さな声で話し始めた。昔から、すぐにこうなってしまうこと。恋愛映画を観ただけで、濡れてしまうこと。自分がおかしいのではないかと、ずっと思っていたこと。
「それに私……まだ、誰とも、したことがなくて」
言ってから、遥は衝立の陰で顔を覆った。どうして、初めて会った人にこんなことを話しているのだろう。照明を動かす音が、止まった。湊は少しのあいだ黙っていた。それから、おかしくないですよ、と静かに言った。
衝立の板は薄く、向こう側の空気がそのまま伝わってくる。湊がどんな顔をしているのか、見えないのが救いだった。見えていたら、きっと一言も話せなかった。顔の見えない相手だからこそ、言葉がこぼれ落ちていったのだと、遥は思った。
濡れやすいのは、体質です。恥ずかしいことじゃない。カメラマンとして何百人も撮ってきたけれど、緊張すると身体が先に反応する人は、珍しくない。湊の声は、照明の数値を読み上げるときと同じくらい、淡々としていた。その淡々とした調子が、遥にはありがたかった。
遥は、衝立の陰で小さく頷いた。湊には見えないのに。恥ずかしいことじゃない。その言葉を、頭の中で何度も繰り返した。十年近く一人で抱えてきた秘密が、たった一言で、少しだけ軽くなった気がした。軽くなったぶん、身体の奥の熱は、かえってはっきりと感じられた。
遥は黒いショーツの上から、そっと手を当てた。まだ、熱かった。それから、もう一つ、言わなければいけない気がした。三上に頼まれると、何でも引き受けてしまうこと。嫌だと思っても、口からは、はい、しか出てこないこと。今日の代役も、本当は。
衝立の向こうで、湊が小さく息を吐いた。それなら、と湊は言った。今日は、断る練習をしましょう。僕が何かを頼んだら、本当に嫌なときは、嫌と言ってください。嫌と言っても、僕は怒らない。何も変わらない。それを、確かめてください。
遥は、自分の言葉が途中で途切れたことに気づいていた。今日の代役も、本当は。その先を、どう続ければよかったのだろう。本当は嫌だった、と言えばいいのか。それとも、本当は少しだけ、着てみたかったと言えばいいのか。自分でも、答えが分からなかった。
「……練習、ですか」
練習、という言葉は、遥の胸に不思議な響きで落ちた。失敗してもいいもの。何度でもやり直せるもの。嫌と言うことを、誰かが練習させてくれるなんて、考えたこともなかった。遥はガウンも羽織らずに、衝立の端に手をかけた。
遥は衝立から出た。黒いレースに包まれた身体を、照明の下に晒す。湊はカメラを手に取り、遥を見た。じゃあ、最初の頼みです、と彼は言った。そのまま、背景紙の前に立ってもらえますか。嫌なら、嫌と言っていい。
衝立から一歩出ただけで、照明の熱が全身を包んだ。黒いレースは光を吸い込み、その分だけ、肌の白さが浮かび上がる。遥は思わず胸の前で腕を交差させた。湊は何も言わずに待っていた。腕をほどくまで、カメラを上げようとはしなかった。
遥は口を開きかけて、閉じた。嫌ではなかった。むしろ、立ちたかった。嫌ではないときに、はい、と言う。それは、いつもの、はい、とは違う。遥は背景紙の中央へ歩き、湊のほうを向いた。今度の、はい、は、自分で選んだ言葉だった。
シャッターが鳴った。黒いレースは、白よりもずっと肌の白さを際立たせた。湊は二枚、三枚と撮り、それから、膝を少し開いてもらえますか、と言った。遥は、自分の胸の中を確かめた。嫌ではない。遥は、ゆっくりと膝を開いた。
嫌ではない、と確かめてから動く。それだけのことが、遥にはひどく新鮮だった。いつもなら、頼まれた瞬間に身体が先に動いている。今は、一つ頼まれるたびに、自分の胸の中を覗き込む時間があった。湊は、その時間を少しも急かさなかった。
黒い布地の内側で、また熱が溢れた。今度は、隠そうとは思わなかった。廊下の向こうから、三上たちの笑い声が近づいてきた。昼から戻ってくる。湊はカメラを下ろし、遥にガウンを渡した。この先のことは聞かずに、遥の口が開くのを待っていた。
膝を開いたまま、遥はレンズを見つめ続けた。黒いレースの奥で何が起きているのか、湊にはきっと分かっている。分かっていて、何も言わずに撮っている。その沈黙が、遥にはどんな言葉よりも優しく思えた。
黒いショーツを引き上げると、まだ濡れた皮膚に新しい布が密着した。白より目立たないはずなのに、湿り気が布を重くし、歩くたび襞の形をなぞる。衝立の向こうに立つ湊へ、自分の秘密を一枚の布だけで隔てていることが、かえって露骨に感じられた。
遥が衝立から出ると、湊の視線は胸から腰へゆっくり降りた。仕事の確認にすぎない目なのに、黒いレースの内側はまた熱を増す。遥は逃げずに立った。濡れやすさも未経験も告げた今、見られる羞恥は、隠していた頃より濃い疼きになっていた。
ここまで読んでくれてありがとう
選択を変えれば、結末は変わります。
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